携帯から、ソラの声がする。
「ショウ、はやくきて。」
 金色の髪と黒い目、どこか日本人離れした風体のソラは、こういった電話をよくかけてくる。決まって、もう寝ようかという時間、つまり深夜に。
「まってるから。」
 プツリと、ぼくが反論を挟む間もなく、ぼくが返答をする間もなく、一方的に電話は切れた。どこへだよ。言ってみても、ツーツーと耳障りな音が代わりにに返ってくるだけ。
 はあ、しょうがない。溜め息をついて、携帯をポケットにねじ込んで、ぼくは自転車の鍵を手に取った。結局逆らえはしないんだ。あの声で来てと言われれば、行くしかない。ソラに逆らうのは、決して難しいことではないけど、どうにも手間と労力が掛かって割りにあわない。それならいっそ従ってしまおうというのがここ数ヶ月でぼくが出したひとつの結論。だって、話の通じない相手とどうやって対峙しろと?打ち倒すのが目的ならそれは簡単な仕事だけど、そうできないから、問題だ。ああ、糞、なんという不自由。
「ほら、来たよ。」
 自転車を漕いでおよそ三十分。いつもの場所と言うにはまだ足を運んだ回数が少ないけど、それでも少し見慣れた風景。終電が終わり、沈黙した高架橋の下、腐食したコンクリートの柱に持たれかかって楽しそうに鼻歌を歌うソラが見えた。自転車から降り、スタンドを立てるのも面倒だったからそのままがしゃんと横倒しにして、土手を下りる。雨でも降ってたのか、濡れた雑草の冷たさが不愉快で、ハーフパンツを履いてきたことを少しだけ悔やんだ。
 土手を下りきって高架橋に近付いて、声をかけたところではじめてソラはぼくを振り返った。鼻歌が止む。
「ショウ。」
 嬉しそうに微笑んでいるように見えたが、ぼくにはこの笑顔がうざったく感じてしょうがない。
「なんだよ。」
「見て、とても上手くできたんだ。」
 満面の笑み。ぼくは眉を顰める。ソラの指差す方向に目をやって、まあ大概そこになにがあるのかは予想がつくのだけど確認の意を込めて、視界に入ったそれにまた不快感。流石にもう嘔吐感がやってくることはないけど。
「なんだよ、これ。」
 多少慣れが生じたからといって、ソラの思考と意図に近づけるわけでもない。眼前に広がる異様な光景に、ぼくは訊いた。
「蠍座。」
 高架橋の下、赤茶けた地面の上、そこに転がる腕や、足や、腹部や、胸部や、ばさばさになった髪の毛の塊。そして頭部。馬鹿か。
「黄道十二星座のひとつだよ。ショウも知ってるだろ?トレミーの48星座の1つで、心臓の部分にアンタレスって言う、太陽の次に有名な恒星が光ってるんだ。」
「…一応、学校で習った。」
「うん。この蠍はね、海神ポセイドンとミノス王の娘…ミノスってあのミノタウロスで有名な国だよ、その娘のエウリアレ、ふたりの息子であるオリオンを殺した蠍なんだって。オリオンは蠍を恐れて、蠍座が輝いて見える間は決して空に顔を出さないんだ。こういう人間をチキンって言うんだろ?ところでどうしてオリオンは蠍に刺されて死ぬことになったんだと思う?それはね、自分に敵う生き物なんていないって豪語したからなんだって言われてる。彼はその傲慢さゆえに、死んだんだ。面白い話だよね。」
 コンクリートの柱にもたれて、ふふ、と業とらしくソラは鼻で笑った。
「そうだな笑える話だな。そういうことは思っていても口に出さないのが礼儀だと思うよ。で?」
「で?でって、なに?」
「なに、じゃない。だから、これはなんなんだよ?」
「これ、って?」
 きょとんと目を丸くして、微かに首を傾げる。ああ、畜生、腹が立つ。
「蠍座の話は分かった。つか、そんなん聞いてない。そうじゃなくて、だから、」
 腕、足、腹部、胸部、髪の毛の塊、頭部。だから、つまるところ、簡潔に言えばそれは、
「なんなんだよ、この、ばらばら死体。」
 つまり、死体。
 なんだ簡単だ見たまんまじゃないかだってそうだろこんなばらばらのパーツに分けられて生きていられる人間がいるかいやいないなそうだろ簡単な話だ簡単な話さ訊くまでもなく見るまでもなく分かっていた当たり前じゃないかだってここにぼくの前に立っている相手はソラなんだ。
「だから、さっきから蠍座だって、言ってるじゃないか。話を聞いてなかったの、ショウ。」 
 右腕、左腕、右足、左足、腹部、胸部、髪の毛の塊、髪を切られた頭部、順に指を差してカタカナ語を、多分星の名前を読み上げ、
「アンタレス。」
 最後に赤黒い変な塊を指差す。アンタレス、ああ、つまり、心臓。そういえば胸部は下を向いていて背中しか見えない。土と向かい合ってる部分はぐちゃぐちゃなんだろうなあ。そして遅まきながら、死体を指差すソラの指と、服が、街頭のない高架橋の下でもはっきり、赤く黒く染まってることに気がついた。
「きれいだろ?ちゃんと、星と星の距離、比率を計算して置いたんだ。足がある方が尻尾で、頭がある方が、頭。ね、上手くできてるだろ?」
 満足そうに言って、かつて人間だった、いまはただの九つの部品を眺める、ソラ。確かにこいつは天体観測少年だ、星についてはとても詳しいのかもしれない。だけど、あれだろう、天体観測少年なら天体観測少年らしく、大人しく空を見上げてろって言うんだ。
「女の子は、いいね。」
 話が飛ぶ。
「脂肪があんまりなくてさ、切りやすくて、とっても楽だ。関節もそんなに硬くないし、髪の毛も使えるし。それにやっぱり男と比べて軽いから、ロープから降ろすのが楽なんだ。」
 ソラはひとを殺さない。こいつはこういう人間の尊厳だとか道徳だとかそういうもの一切を取り払ったような行為を好む、だけど、ひとは殺さない。それはとてもアンバランスなことに思えた。
 この高架橋の柱には、なににとは言わないけど、いい感じの鉄骨が露出していて、なににとは言わないけど、足元には足場に丁度いい岩が庭石のように鎮座している。だからだとは言わないけど、よくここにはひとがぶら下がっている。たまに、ぶら下がるのとは別の方法を選んだ誰かが、下流に流されている。
 その様子を望遠鏡越しに眺めてから、その後遊びにやってくるんだと、ソラは言っていた。望遠鏡と、包丁と、のこぎり両手に。
「彼女、蠍座なんだって。」
 足元に置いていた望遠鏡を手に取り、埃を払いながらソラが言う。
「ぼくがここに来たとき、まだ生きてた。不器用なのかな、ロープがほどけて落ちちゃって、足を挫いてた。簡単に応急処置をして、ちょっと話をして、ロープを結びなおしてあげて、足場に丁度いい岩を教えてあげた。ほら、先月の男子中学生が足場に使った岩、あれ、教えてあげたんだ。」
 その話は、先月聞いた。今日のように電話で呼び出されて、顔面が粉粉になった男子中学生を指差して、銀河みたいだろと笑うソラに、その話を聞いた。なんでこんな面白くもないようなことを面白そうに話すんだろう、こいつは。
「でももう飽きちゃった。」
 はーあ。大きく溜め息をついて、ソラは肩をおろす。肩と一緒に、手に持っていた望遠鏡をもう一度地面に置いていた。
「なんか、臭いしさ。そろそろ片付けようかなと思って。」
「だからぼくを呼んだとか言うんだろ、また。」
「うん。」
「やだよ、ぼくだってこんな汚いの持ちたくない。自分の責任は自分で取れって。」
 ソラは、死体を片付けるんだと言って、それを川に流す。それは保身の為とかではなくて、ただ単純に、ごみは捨てるものだろ、というこいつなりの道徳に則った行為だった。
「面倒臭いなあ。後片付けをしなさいなんて、そういう躾されないで成長したかったよ。」
 死体を玩ぶなと、そういう躾はされなかったのかよと突っ込みを入れたくなったけど、確かにぼくもそういう躾は受けていないなあと思ったから、やめた。
 頭、髪の毛、胸部、心臓、腹部、左足、右足、右手、小指の欠けた左手。ぼちゃん、と、水音が九回。髪の毛を石に巻きつけながら、リボン結びが上手くできないんだとソラは情けなさそうに言った。左手の小指は、記念にとソラがいつも持ち帰る。一度ソラの家に行ったときに、ベッドの下から出したクッキーの缶詰の中に並ぶ白くて小さな小指の骨を、自慢げに披露さられたことがある。嬉しそうなソラの様子を見てぼくは、これじゃただの馬鹿な餓鬼じゃないか、と思った。
 ぼちゃん、ぼちゃん。最後に二回、包丁とのこぎりが川に投げ入れられる。これで終わり。
「さて、帰ろうかなあ。」
 ソラが空を仰ぎながら呟く。
 つられてぼくも空を見て、田舎のネオンに星が隠れてることに気がついた。月が薄っすら見えるだけの空は、絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような変な色をしていた。
 ああだからか、星が見えないからか、こいつはただ星座がすきで、星座が見たいだけなんだな。
 望遠鏡を抱え鼻歌を歌いながら歩くソラの背中を見ながら、そんな好意的な解釈が浮かぶことはなかった。



(060702改稿。2P設定。光と闇、闇と闇。