舌を伸ばして歯をなぞると、ぼくから見て右側の方で八重歯に当たる。そのタイミングできみはいつも少し身動ぎをする。そのタイミングでぼくはいつも少しだけ右手に込めた力を緩める。
 結局のところ動物学的にみたらぼくもきみも三軒隣に住んでる大学生も担任の教師も中学校の頃の同級生も県議員選挙で負けてた高校のOBもテレビの向こうの演技派女優もアメリカの大統領も過去の偉人も全部ひっくるめて人間という動物の種類の枠に当てはめてしまえるわけで、もう少し枠を小さくしたところで同じ日本人同じ男子高校生その他その他、どこかしらなにかしらでぼくやきみは同じものなのだと言うことが出来るし、それはまあはっきり言って屁理屈ではあるのだけれど。だけどぼくはその人間と言う個性を無視した大きな記号の集団の中からだとか男子高校生と言う代わり映えのしない塊の中からきみを見つけるための確証に似たなにかが欲しくて、勿論きみに関することだからなにかだなんてそんなものがなくてもきみに辿り着く自信と自負はあるのだけれど、だからといって少しの確証も持たずにいるのもちょっとだけ不安であることは否めなくて、だってそうだろう、ぼくはきみを見たらきみだって分かる、きみの声を聞いたらきみだって分かる、きみに触れたらきみだって分かる、五感のどれかとかあやふやだけど第六感とかそういうものがあればぼくはきみのことを見つけることが出来るはず、必ず出来る。でもそういう全てを無くしてぼくがぼくであるかどうかも分からなくなるような、そういう状態は全く好ましいものではないのだけれどだからといって万が一を考えもしないのはただの莫迦のすることで考えすぎない程度の想定くらいはしておくものだと思う、とにかくそういう状態に陥ったとき、そうしたらぼくはどうやってきみを見つけたらいいのだろうかとかきみを見つけられるだろうかとか見つけたきみは本当にきみなんだろうかとか、らしくないとは思うけれどそういうことを考えてしまって、仕方がなくなる。ぼくは、きみは人間で、きみは日本人で、きみは男子高校生だということは知っているけれどそれと同じくらいに、人間はきみではなくて、日本人はきみではなくて、男子高校生はきみではないことも知ってる。ぼくはきみの作った歌を歌うけれど、ぼくが歌う歌がきみの作った歌ではないように。沢山の人間がいて、沢山の日本人がいて、沢山の誰かがいて、その中できみはきみで、きみはひとりしかいなくて、きみに対するぼくは沢山いたって構わない、いや本当は構わなくなんかないしそんなことになったら多分ぼくは怒ってなにをするかわからないけど、いまだけちょっと格好つけてそういう風に言っておくよ、きみのぼくがぼくだけではなかったとしても、ぼくのきみはきみしかいない。ぼくがきみをきみだと認識する確証は多分とても不確かなもので他の誰かから見たら笑ってしまうような根拠の薄いものかもしれない。それでもいいと思う。だってぼく以外の誰かに分かってしまうような一般的な根拠だったらそんなものなくてもいいじゃないか、ぼくだけが分かればいい、ぼくだけが分かれば、ぼくはきみを独り占めできるから。
「八重歯ー、」
 唇を離すと唾液の糸が蛍光灯の光を反射するのが見えた。きみは手の甲でそれを拭って、ちょっとだけ顔を赤くして、多分これは恥じらいだとかそういうものじゃなくてただ息が上がってるだけなんだろうけど、そうしてぼくの言葉に首を傾げた。
「は?」
「なんでもないよ、続き、続き、」
 そういえばよく考えたら前提が間違っている。これだけははっきりと分かる、全く欠片も万が一なんて危惧は存在しないし存在する隙間もないくらい、なんだってそんな思考に思い至ったのかの方が不思議でならない、そう、ぼくがきみを手放すわけない。こうやって捕まえて、ぼくだけのものにして、集団に紛れるちょっとの隙もあげない。だから、見つけられる見つけられない以前の問題に、見失うはずなんて、考えなくても答えが出る。
 シャツの中に手を入れて、つよしは体温高いなあそれともぼくの手が冷たいのかなあなんて考えながら、唇を舐めるように自分の歯を舌でなぞってみる。矯正とかしたことはないけれど、奇麗に歯が並んでた。多分ぼくは自分にないものだから、自分との相違点だから、つよしの八重歯がすきなのかなあと新しい仮説を立ててみる。暫らくしたらそんなの頭の中に置いていられなくなったけど。



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(無題)20060118