電車と、月の話



 電車に乗った。
 四人がけの席が空いていた。先に座った相手の隣に同じように座ろうとしたら、狭いと文句を言われたから、しょうがなく向かい合って座った。進行方向を背中にすると気持ちが悪くなるからすきじゃないんだけど、まあ先に席を取られてしまったんだからしょうがないと諦めた。
 時間帯のせいか車内はすいていて、ほとんど乗客がいなくて、おれたちが乗った車両は他に乗客はいなかった。がたんがたんという電車の走行音のほかは時時車掌のアナウンス聞こえるだけで、会話のひとつも聞こえてこない。
 向かい合って座っている相手は、おれが気持ちの悪さと戦っているというのに、そんなこと気にもしてくれてなくて(そりゃあ気持ち悪いのはこいつじゃなくておれだけど)、サッシに頬杖をついてうたた寝していた。ついさっきまでは窓の外を楽しそうに眺めていたと思ったんだけど、電車とかバスとかが催す眠気ってすげえなあとちょっと思った。おれは気分が悪くてうたた寝どころじゃなかったけど。目を瞑ったら目の前が暗くなって当たり前のはずなのに、真っ白になって焦った、やばいって、乗り物酔い。
 ああそれにしてもなんか気持ちよさそうに寝てんなあ。目え瞑ってるから、いつも以上に睫毛が長く見えて、改めて女の子みたいな顔してるなあと思った。誰だろう、こいつとおれがそっくりだとか言ったやつ、どこが似てるのか箇条書きにして挙げて欲しいもんだ。おれの髪はあんなに柔らかくないし、つかいっそ針金みたいだし、睫毛も短いし、目もちっせえしさ、背丈で言ったら確かにいっしょくらいだけど、同じところってそのくらいじゃないだろうか。
「視線が痛いよ、」
 いつ目が覚めたのか気がつかなかったけれど、いつのまにか光の加減で深緑に見える目がおれを見ていた。
「あ、もしかして、見惚れてた?」
 バカみたいなことを言って、にこりと笑う。多分こういう笑いかたを優雅っていうんだ、もちろんおれには真似すら出来ない、いや、しようとは思わないけど。
「バーカ。誰が、誰にだよ。」
「きみが、ぼくに、だろ?」
「…。」
 にこり。
 なんかこいつが笑うのを見ると、つか笑いながら言う言葉を聞くと、もしかしてそうだったのかも、と思ってしまう、ほんの一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、ぎくりとする。ぼくのババロア食べたでしょ?とか言われると、もしかしたら間違って食ったかもしれないとか、食ってもいないのに思ってしまう、見透かされているような、気持ちになる。例えるなら、ジャイアンがかあちゃんにたけしー!って呼ばれたときの不安感とかに似てるのかなー、なんて、別におれは悪いことしてないけど、心当たりもない。
「なに?」
「なんでもねーよ。」
「なんでもなくないよ、ぼくは分かるもの、ぼくはきみ、」
 なにかにつけて、こいつはこいつ自身とおれを同一視しようとする。おれはそれが、
「ほら、一緒にするなって、思った、でしょ。」
 おれはそれが、いやだ。
 当たり前のようににこりといつもの笑いで、自分はおれ(ああなんか分かりづらいけど)だというこいつは、なにを考えているのかよく分からなくて、いやだ。
「あのな、何回も言ってるけど、お前はお前で、おれはおれ、だろ。」
「うん、だけど、何回も言い返してるように、やっぱりぼくはきみなんだよ、」
 自分を表すときこいつは、例えに月を出す。小惑星が掠めるようにぶつかったことによって弾けていった原始の地球の欠片が宇宙で集まって出来たのが、月。月って言うのは地球から出来ていて、地球から生まれたもので、言いようによったら地球そのもの(材料とか)だと言える。だけどいくら月が昔地球であったとしたって、もう地球に戻ることなんてない。月と地球の間には重力の関係でいつも一定の距離があるし、それにもし月が地球に戻ってくることがあったにしたってそれはつまり月が地球に激突するってことじゃないか。と、講釈を垂れた上で最後にこいつは自分を月だと言った。自分では輝けない、地球からの重力でそこにあれる小さな惑星、月。だからぼくはもういくら願っても願わなくてもきみに戻ることは出来ないんだ。と。きみが太陽だったとしても、太陽から生まれた地球だとしても、ぼくがそれから生まれた月である限りは。と。訳の分からないことを、言うくせに。
 もう大丈夫なんだと思ってたのに。
「いやだからな、」
「?」
 首を傾げる姿が見えた。大きな目の上でぱちりぱちりと羨ましいくらい長い睫毛が上下する。
「おれは、お前がおれのなかに戻って、ひとりになんのは、いやだ。」
「…うん。」
「喋るのも難しいし、触れねーし、なんか、もう、そういうのはいやだ。」
 地球にも月の引力が関係して生命が生まれたり、生まれた生命には周期的な月の引力が不可欠なように。月が地球に戻ってくる方法が激突すること、つまりどっちも壊れてしまう結末しかないようにひとつには戻れないように。
 おれは、
「おれは、お前が傍にいたほうがいーよ。」
 傍にいたいし。
 こいつがなにを思っておれと自分を同一視したがるかなんか分からない。けど、
「だからお前はお前でいてくれよ。おれは、おれと一緒にいたいんじゃねーんだって。」
「…うん、わかった、…ごめんね、」
 にこりと、嬉しそうに笑った。
「でも、嬉しいな、そんな風に言ってくれるなんて、」
 確かに柄じゃない、と思って、急に恥ずかしくなる。な、なに言ってたんだおれ、乗り物酔い吹っ飛んだぜ、ちょっとおい!
「えっと…うん、大丈夫だよ、そういう意味じゃないんだ、ちょっと、よく分かんないけど、」
「おれも、そういう意味で言ったんじゃねーから、」
 言ってみたけれど、ダメだったかもしれない、いや多分ダメだった。なんだこいつのこの満面の笑み、うわあ。恥ずかしい。
「1+1は?」
「は?」
 頭を抱えて悶絶しようとしているところへなんだか変なことを言われる。おれ、小学生か?
「2。」
「うん、ひとりとひとりが一緒になったら、ふたりなんだよ、ひとりにはなれない。」
「?」
「ぼくはきみだけど、だけど、やっぱりぼくはぼく。だから、大丈夫、」
 がたん、と、電車が思い出したように揺れた。
「だから、ぼくはずっときみの傍にいられるよ、」
 車掌がアナウンスで次の駅の名前と出入り口のドアを告げる。
「だから、きみもずっとぼくの傍にいてね。」
 車内アナウンスが終わって電車が速度を下げたとき、他に誰も乗客がいない車両の四人がけの席で、慣性に任せて、慣性に逆らって、おれたちはキスをした。
 ひとつには、ならなかった。





(051211(タイトルは無題以上に意味がないです。付けるの苦手。
(名前がないって言うのはどんな気持ちなんだ?
(ということで思わず場面が電車。それ以外に理由はないです戯言ですね脱兎。