世界には二種類の人間しかいないのだそうだ。
「なあ、イア。」
 例えば成功する人間と、成功しない人間。
「なんだ。」
 例えば得をする人間と、得を出来ない人間。
「おれ遠くへ行くことになった。」
 例えば尊敬される人間と、尊敬されない人間。
「だからもうイアとは会えなくなるみたいなんだ。」
 例えば、置いて行く人間と、置いて行かれる人間。
「だからなんだ。」
「別に、それだけ。」
 部屋の角に置いたフラットテレビに向かったまま、小林はいつもと変らない調子の声で言った。
「一応、言っておいた方がいいかなあと思って。」
 ピコン、とテレビのスピーカーから音がして、小林が小さくやったと呟くのが聞こえた。
「あ、そうだ先に言っとくけど、残念ながら就職が決まったわけじゃないから。」
 小林は振り返らないままだから、まるでテレビに離しかけているように見える。
「そうか。」
 もしかしたらおれにではなくテレビに向かって話しかけているのかもしれない。
「なんだ、反応薄いな。」
 違った。
「もっとこう、どうしてだとか、どこにとか、色色反応のしようがあるだろ。」
「別にそんなもの知りたくもない。」
「薄情だな。」
「そんなことはない。お前がどうしても話したいというのなら訊いてやる。理由は一体なんだ。どこへ行くつもりだ。」
 世界には二種類の人間しかいない。置いて行く人間と、置いていかれる人間。去って行く人間と、去って行かれる人間。おれは昔から後者だった。幼稚園の年少のときに餌をあげていたのにいつの間にか軒先から消えた黒い野良猫。小学一年生のときに転校して行った隣の家のクラスメイト。中学二年のときに家出をしたまま帰ってこない親友。高校三年のときに交通事故で死んだ1年三ヶ月付き合った彼女。
 そして小林。
「理由は、行かなきゃいけないから。場所は、遠いところ。」
「大雑把だな。態態訊かせておいてその答えか。」
「他に答えようがない。」
「ならおれの反応の薄さを責める資格はお前にはない。」
「うん。」
 小林が首を回して顔だけ振り返った。
「でもイアには言っておかなきゃいけない気がしたから。」
 小林はいつもにこにこと笑っていて、その他の表情は全く見せない。こいつはいつも笑っている。怒っていたり、泣いていたり、そういった表情はみたことがなかった。小林はいつも笑っている。いまおれの目の前でそうしているように。
「急にいなくなるより、挨拶くらいしておこうかと思って。」
 にこりと笑ったまま、テレビに向き直る。細い金髪が揺れた。
「お前は一体どこに行くつもりなんだ。」
「よく分からんけど、遠いところ。多分、イアは信じないよ。」
 小林は自分の言葉の三割は出任せと想像だと言う。おれは小林の言葉の五割が法螺だと思う。しかしだからと言っておれが小林の言葉全てを疑っているわけではない。確かに鵜呑みにすることはないが、決して信じないわけではない。値すると判断すれば、それがいかに荒唐無稽な話であろうと、一応は信じよう。
「結局のところ。」
 結局、小林は、
「なに?」
「…いや。やはりなんでもない。」
 迷っているのだろう。
 おれに話をしたところで、ろくな返答が返ってくることがないことは重重承知しているはずだ。内容の大小に関わらず、これまでがそうだった。いつも置いて行かれ去って行かれる側の人間であるおれは、小林が去って行くこと程度で動揺などしない。引き止めたりだとか、問いただすだとか、そういう行為を求めているのなら相手を間違っている。小林がそれを知らないことを差し引いても、過去を鑑みれば、おれが相談相手にはならないことは目に見えていて、イアは話を聞かないと何度か言ったのは小林本人だし、お前も似たようなものだと返したのはおれだった。それはいつのことだったか。
「イアは、」
 イアと言うのはおれの名前で、残念ながら本名ではない。
「なんだ。」
 誰も呼ぼうとしない名前を、小林だけはなにも考えていないような笑顔で呼ぶ。自分で呼ばせておいてなんだが、暫らくはそう呼ばれることに慣れず、おれが呼ばれているということに気がつかないこともしばしばだった。
「イアは、おれが異世界に行くんだって言ったら、信じるか?」
 なんだかとても小林らしい荒唐無稽で夢見がちなことを言う。テレビに向かったままの小林の背中を見ると、
「一概に否定は出来ない。」
 こいつならもしかしたらないことはないのかも知れないと、思った。
「本当なんだよ。」
 小林がおれが求めたとおりにおれのことをイアと呼ぶように、おれは小林が異世界に行くというのだからそれを認めないと礼儀に反するのかもしれない。
「そうか。」
 本当だと言う前に、どこにいくのか詳細を話さないのだろうかと少し思う。話したいのではないのだろうか。
「イアは、」
 そう思うということは、言うほどおれは動揺していないわけではないのだろう。
「イアはおれがいなくなっても、寂しいとかは思わないんだろ?」
 普段と変らない声音の小林の声と部屋の角と向かい合っている姿。こいつがいなくなったらおれのことをイアと呼ぶ人間はいなくなって、おれはもうイアではいられなくなるのだと、そのことが頭を廻って離れなかった。こいつがいなくなったらおれはこいつをフェルナンドと呼ぶこともなくなるのだと、そのことが頭を廻って離れそうになかった。





補足。
@フェルナンドは小林と言う名前です。イアとは友達のようです。
A小林は世界を救う勇者としてどこか異世界に連れて行かれることになったそうです。
B設定がよく分からないのは、わたしがなにも考えずに時系列を無視して話を書くからです。
(20040409→UP20060430