「うわ、ナカジって携帯持ってるんだ!」
 場所は冬空の屋上。声を上げたのは年上のクラスメイト(留年には理由があるらしいが、興味はない。)。いかにも以外だ心外だといった風の表情。
「…一応、兄が。」
 鞄の隙間から見えるのは、多少年季の入った黒い携帯電話。心配性の兄が態態持たせてくれたもので、一応学校にも持ってきてはいたが殆んど鞄から出したことはなかった。
「メアド教えてー!おれのはね、」
「…却下。」
「え、なんで!もしかして、使い方わかんないの?」
「分かります、それくらい。」
「じゃ、なんでさー。」
「すきじゃ、ないんで。メールとか…電話、とか。」
「えー、なんでー、便利じゃん。」
 なんでなんでなんで。五月蝿い。
「別に…深い理由は、ない、です。ただ、なんとなく。」
 顔も認識できないほどに遠くに居る相手に、こんな小さな機械ひとつで束縛されるのは性に合わない。社会人として仕事をしているとか言うのならばそれはそれは便利な道具なのだろうが、生憎とおれはまだ成人にすら達していないのだから、つまりこれは無用の長物。大体バスを20分ほどで完了する登下校の道のりに、危険が存在するだろうか、答えは否。一度だけなにか頼みごとがあって兄にその旨を伝えたときも、電話越しにひとこと「やだ。」それだけだった。内容がどんなものだったかは忘れてしまったし、確かに兄も学生ではあるから忙しいのは理解しているけれども。果たして使いもしないのに何故おれはこんなものを持っているのだろうかと、不思議に思わないでもない。
「あ、分かった。」
 隣から、ぽんと業とらしく手を打つ音。
「顔見ないと、安心できないひとだ、ナカジ。」
「…そういう訳では、全く、ないです。」
「違うのー?」
 違う。
「…違います。」
「じゃ、メアドと電話番号。」
 そんな使いもしないようなものを空で答えられるか。それにここで教えたら最後、毎日電話とメールに煩わされることになるんだろう、それは好ましくない。
 少しの逡巡、言葉が出ないのをどうやら可笑しな方向に解釈されたらしい。
「電話じゃなくて、会いに来いってこと?」
 らしいといえば全くその通りの、思考の飛躍。どうしてそうなる。
 余りにも嬉しそうに笑うものだから、呆れて言葉が出なかった。
「じゃー、おれ、毎日ナカジに会いに行くよ。」
「…結構で」
「ナカジも、会いたくなったらおれ呼んでね、直ぐ行くからさ。あ、そっか、電話嫌いなんだっけ。」
 どうしようかなー。腕を組んで悩んでみせる姿勢がまた業とらしい。業とではないのは知っているけれど。
 暫らくするとまた手を打つ音が聞こえた。
「じゃあこうしよう。ナカジ、おれに会いたくなったら、空に向かって叫んでね。」
「…は。」
「空って繋がってるから、多分聞こえると思うよ。絶対聞こえる。」
 ナカジの声なら分かる。
 そう言って天を仰ぐタローさんの視線を追うと、見えたのは冬の灰色の空。吐く息は白くて、空に溶けるように灰色と同化する。
「…大丈夫ですか。」
「え、なにが?大丈夫だよー。あ、もしかして、ナカジ寒い?」
「…そうじゃ…、…大丈夫、です。」
 なんだか反論をするのも億劫だった。なにを言っても理解が得られない気がしてくる。
「そっかー。寒くなったら言ってね、暖めてあげる。」
 にこりと笑うタローさんを見て、なんかもうどうでもいい、と思った。疲れる。
「寒い?」
「寒くない、です。」




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(20051202