*崩壊アンプリファー
track:1『遥か彼方』



 日本の海は黒くて、まるでその国に住むひとの腹の色を象徴しているようだと、聞いた。
 言ったのはいまおれの隣(例えば5メートル先を楽観的に見てそう呼べるとして)で黒い海と同じくらい黒い学ランに身を包んだ小柄なクラスメイト。
 名前は、なんていうのかよく覚えてない(自己紹介をしあった記憶がない)。ただ、クラスの誰かは彼のことを、ナカジ、と呼んでいた。
「ねー、ナカジー。」
 その誰かに習って同じようにナカジと呼んでみても、勝率は八分二分、四回に一回、八回に二回、百回に二十回、返事が返ってくるか来ないかで、多分実際は百回連続で呼んでも一回帰返ってくるくらい。
 案の定、同じセリフ(声の大きさやなんかも)を九回繰り返しても小さな背中に反応はなかった。
(なんだよ。)
 夜の海、夜の砂浜、ふたりきり。なんていうか、いい感じのシチュエーション。相手もおれも男だけどさ。
 なのにいくら呼んでも返事がない。
「ナカジ、聞いてる?」
 返ってくるのは、ざざ、と言う波の音。当たり前だけど、これはナカジの声じゃない(本当に当たり前だけど)。
「ナカジ、生きてる?」
 もしかして、なんて思った(凄く、細いし)。
「…生きて、ます。」
 しばらくしてやっと返ってきた応えは、凄く面倒臭そうな、そして疲れた感じの声。
 もごもごとしてて(ナカジはマフラーで顔半分近くが隠れてる)よく聞こえなかったけど、リスニングには自信がある(英語は苦手だったけど)から、そういったんだと思う。生きてます。
「よかった。」
 よかった。死んでなくって。ちょっと、本気で心配しかけてた。返事返ってきたけど余りにも間が開いてたし。
「ナカジ、さっきから喋んないしさ、もしかして気分悪くなったのかとか思った。」
「……。」
「あ、もしかして寒かった?」
「……。」
「最近寒くなってきたもんね、急に。」
「……。」
 振り返りもしない細い背中に、ひとり話しかける。ナカジは、おれに背中を向けたまま、じっと立って黒い海を見ていた、多分。
「ね、ナカジ。」
 黒い海をバックに立つナカジの姿は、海と学ランの色が同化して(ノートにチョークで文字を書いても見えないみたいに)ぼんやりとしていて、波が揺れるように顔を隠しているマフラーが風に揺れていた。なんだか海みたいだなあと、思う。
「ナカジは、」
 ざざ。波の音。
 波の音は、人間でいったら呼吸をする音。
「海がすきなの?」
 右足を前に、左足を前に(歩く)、ナカジとの距離が縮まって、四メートル(身長にちょっと足して二倍)、三メートル(多分ナカジの身長の二倍よりほんのちょっと近い)、二メートル(なんだろう…半端)、一メートル(両手を伸ばしたら届く)。
 そこでナカジがゆっくりと振り返った。真っ黒(それこそ夜の海の色)な目が、ぼんやりおれを見てる。
「…海は、夜、静か…なので。」
「なので?」
「気に、入ってます…少し。」
 夜の海は静か。
 多分当たり前すぎることなんだけど、最近までおれはそれに気が付かなかった。
 ひとりで夜でも昼でも海に来ることなんか滅多になくて(例えひとりでも唄を歌ったりしてた)、誰かといると必然的に喋ってたし、おれは声が大きいらしいし、波の音なんか聞いてなかった。聞こえてなかった。
 ナカジに会って初めて、海の声を聞いた。
 ナカジは多分、海の声を教えてくれた。
(それはそれはシンラツな言葉でではあったけど。)
 少し黙ってくれませんか。
 そう言った(やっぱり面倒臭そうに)ナカジの言葉は、なんでか忘れられない、別に悪い思い出でもないんだけど。因みにその時ナカジは海辺でギターを弾いていて(いまもギターはケースごと横に持ってはいる)、五月蝿いのはお互い様だよ、と言いたいのを飲み込んだのも、覚えてる。クラスメイトって言ったって一応年下相手だしね。
「ナカジ、唄歌って。」
 ギターの存在を思い出してそう唐突に言うと、露骨に面倒臭そうな顔をされてしまった。
「どうして…、」
「聴きたいから。ナカジの唄。」
 当然。どうしてなんて、理由はない。突然、無性にハンバーグが食べたくなってどうしようもなくなる感じに似てる。なんて。
「聴きたいから。ナカジの、声。」
 遥か遠く彼方へ連れて行ってくれるような(詩的だ)、そんな、声。世界中の声と言う声を全部ひっぱてしまうような、声。自分が声を出せるということを忘れてしまうような、声。
 少し目を閉じて、いつもよりはっきりした発音で、どこかよく分からない遠くの方を見て、必死に歌うナカジが実はすきだ。(実はかなりすきだ。)
 おれは音楽を勉強したりした訳でもないから(自慢じゃないけど小学校のときリコーダーが吹けなくて居残りをさせられたこともある)ナカジのギターが上手いのかどうかとかそういうことはよく分からない。だけど、ナカジの歌が、ナカジの音楽が凄いってことは分かる。
 おれ、ナカジの歌がすきだ。
「ナカジ。」
 一通り歌い終わって呼吸を整えてるナカジを呼んでみた。歌を歌ってるときのナカジは普段からは想像できないような声量の声を出していて、だからか歌い終わった後はなんだか息が苦しそうだ。だけどその苦しそうに息をしているときだけ、らしくもなく油断してるのかもしれないけど、呼ぶと真正面から目を合わせてくれる。(ただし、酸素が足りないからかちょっと目が空ろだから、おれの顔は見てないかもしれない。)
「ナカジ、」
 息が整ってくるにつれて段段、普段の冷たい感じがナカジの目に戻ってくる。
「だいすき。」
 言うと、ナカジは深呼吸の最後を大きな溜め息にして、ちょっとだけ眉をひそめてまた海のほうを向いてしまった。
「だいすきだよ。」
 どこか遠くを眺めたまま、ナカジはなにも言わない。
「だいすき。」
 三回目。
「…少し…黙ってて、くれませんか。」
 やっと返ってきたナカジの声はいつものようにぼそぼそと消えてしまいそうで、
「うん。」
 聞き逃さないように短く答えを返す。
「波…聴こえない。」
「分かった。」
「…あと、冗談は、嫌いです。」
 じゃあ別におれはナカジに嫌われるようなことはしてないや。
「うん。」
 ナカジの視線を追いかけても黒い海意外にはなにも見えなくて、一体ナカジはなにを見てるんだろうと、ちょっとだけ、思った。



心をそっと開いてギュっと引き寄せたら
届くよきっと伝うよもっと





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タイトルと引用はアジカン。
(20051128